○東洋医学とは? 東洋医学とは?A 東洋医学とは?B
○日本独特の発展をとげた鍼灸(経絡治療)とは?
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| 日本独特の発展をとげた鍼灸(経絡治療)とは? |
およそ1300年前、飛鳥の都にもたらされた鍼灸という医学が、今この21世紀にまで
伝承されている。なぜ廃れなかったのか。なぜ途絶えなかったのか。誰の手で今日
まで伝えられたのか。
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わが国には大陸からもたらされた医学古典に学びつつ、1200年の間、日本独自に熟
成されてきた伝承医学、伝統的鍼灸術がある。手から手え営々と伝えられてきた治
療術である。 |
日本における鍼灸医術は、古代中国に生まれた鍼灸が、古典医学書と共に少しずつ
伝来し、長い歴史の中で一度も途切れる事無く、わが国独自の発展を遂げてきた伝
統医学である。 |
科学という学問の無い遠い昔に確立された治療術であるから、その独特な学理を、
現代医科学の目で眺めれば、どこか奇異なものに感じられるだろう。しかし鍼灸
は治効を最大の目的に試行錯誤され、取捨選択され、社会淘汰の中で形成されてき
た。なぜ効いたかと言う理論は後から考えられた。このようにして鍼灸の医学理論
を当時の自然哲学である、陰陽・五行・気穴などに求め、一つの完結した治療体系
を築いた。その流れを伝え、進化伝承された鍼術を、今日担っているのが経絡治療
である。
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経絡治療のルーツは昭和十年代にあるが、経絡治療というのは一流一派の鍼灸術を
言うのでは無い。明治以後漢方医学撲滅の政治的圧力の中で、生き残りをかけて鍼
灸術への西洋医学的アプローチがなされた。しかしそれによって伝統的な鍼灸術の
治療体系が疎かになつた。即ち経絡・虚実・脈診・証・補瀉・気の調整といった鍼
術の本来の独自性が失われ、局所治療、刺激治療へ陥って行った。 |
業界のこの様な状況に危機を抱いた医博、駒井一雄は、昭和11年、主管する『東邦
医学誌』にて、伝統的東洋医学の復興と鍼灸師の奮起を訴えた。これに呼応し昭和
13年柳谷素霊が「古典に帰れ」と全国の鍼灸師に訴えた。この時代の東洋回帰の機
運にも乗り駒井一雄の元に、柳谷とその門下、井上恵理、岡部素道、竹山晋一郎、
戸部宗七郎等十数名が集まり、後に井上の弟子である本間祥白も加わり研究会が重
ねられた。これが母体となり昭和16年全国的組織『東邦医学会』が創立され、日本
古来の伝統的鍼灸術の学理と術技の再検討がなされ、伝統的な鍼灸術の本道に立ち
返る努力がなされた。同時に講習会も頻繁に開かれるようになった。こうして再構
築された治療体系は、科学派とか刺激バリと言われる鍼と明確に区別するために経
絡治療と呼称されることとなった。
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それは原典たる素問・霊枢・難経・甲乙経・医方大成論等、古きが故に貴しと言う
古典万能の姿勢を廃し、臨床追試を通して古典を再検討し鍼灸術を本来の姿に復せ
しめるというものだった。こうして古典鍼灸術は復興され現代に脈々と続いている。
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